ゲームブンセキ

ゲームの感想、分析、そしてリスペクト

ゲームは面白すぎて困る。だからレビューを書く

あるとき、ふっと「そろそろゲームレビューを書き始めて1年たつな…」
と気づいた。そのとき振り返って思った。なぜゲームレビューを読むのか。
 
何気なく読んでいるゲームレビュー。
 
これから遊ぶゲームの購入基準にするという目的で見ることは多いと思う。
でも「ネタバレあり」と書かれた批評についてはどうだろうか?プレイしたあとにレビューを見るというのはどういうことか。
ゲームレビューを読んだからといって一度遊んだゲームの評価が自分の中でかわることはそう多くない。それにそのすべてが必ずしも真を捉えたレビューとも限らない。
じゃあなんでゲームレビューを見るのか。
 
 
思うにゲームは、面白すぎて困る。
 

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近年のゲーマーの嬉しい悲鳴のイメージ図
 
ゲームは短いもので数時間、長いと数百時間に及ぶ娯楽だ。
何億も投じた映画は2時間ほどで観終わるし
全13話のアニメを見終わるのだって7時間もしないうちに終わる。
ゲームはセーブができてしまうばかりに日付を超えてどこまでも遊べるボリュームになってしまった。
 
いや、セーブができないファミコン、アーケード時代のゲームだって何度も繰り返し遊べるように目に見えない工夫、難易度の調節にあふれている。
 
 
それにたくさんのゲームが出ている。
Steamで2018年にリリースされたゲームは約9300本にも及ぶという。一年は365日しかないはずなのに、毎日25本くらいゲームが出ているということだ。
スーパーに毎日通ってもそんなに品揃えが変わるかよ。
 
そのどれもが注目を浴びるわけではないが上を見れば質もヤバくなってる。
2018年のThe Game Awardsのノミネートが、激シブのRDR2、シリーズ初のオープンワールドMHW、アメコミ原作と侮れないMarvel's Spider‑Man、毎年出続けるアサクリオデッセイ、インディーの刺客Celeste、めでたく受賞したGoW
 
苛烈なGOTY競争を考えれば質も量もどんどんあがってとどまることを知らない。
2019年もDMC5やSEKIROを待ってる間に突如APEX LEGENDSを公開するとかもう目が回る。
 
そんななか自分の中に響いた珠玉の一本終わらせて
「あーおもしろかった」
だけで済まない気にもなるというものだ。
 
何時間も遊んだ気持ちをたった一言で済ませられるはずもない。
それだけ時間をかけたら何も感じないほうが不自然なくらいだ。
いや時間だけの問題でもない。こころに響いた音楽だろうと絵画だろうと一言で言い表せて済むならむしろ作品にする意義は薄いだろう。
 
素晴らしい、ゆえにもどかしい。
どうにももどかしい気持ちを解消すべくネットを見る。
 
他の誰かはどう思っているのか。
孤独と呼ぶには大げさだけど、心のスキマがたしかにできる。
そのソワソワした気持ちを抑えるためにゲームレビューを読む。
その時自分の感情を代弁してくれたら?
よかったところに共感できたら?
気づかなかった面白さの根拠を見つけてくれたら?
 
ようやくその気持ちが成仏する。
 
よく「語彙力のたりないオタク」としてひたすら「尊い…」「最高かよ」だけになってしまうことを恥じる様子がTwitterに散見されるが、
そもそも面白いものを言葉にまとめること自体、
まあまあ難しいことだ。自分でやってみてよくわかった。
 
でも同時に楽しいことでもある。
自分の気持ちに整理するためにいっそ自分でレビューを書いたほうが確実だし、
マイナーなものだとそもそもレビューをだれも書いていないことだってある。
自分でレビューを書いているうちに「そういやアレ、良かったわ」と思い返すこともよくある。
ゲームの面白さは油断すればプレイした自分でも気づかないうちに過ぎ去っている。
 
 
ゲームは、面白すぎて困る。
 
 
もはや画面から受けた気持ちから溢れ出るほどに。
余すところなく全てを楽しむなんてもはや無理なほどに。
だからゲームレビューを読む。
これからもゲームレビューを書く。